我が家には7歳女子、2歳男子、7ヶ月女子の3人の子どもがいます。
ある日7歳の長女からの質問されました。
「どうして大人になったら褒めてもらえなくなるの?」
長女のこの言葉は、【褒める】という行為について考える機会になりました。
長女はどうしてそう思ったのか
事の発端は、7ヶ月の妹が寝返りをうって褒められている様子を長女がみたことです。
「赤ちゃんはいいな、寝返りしたくらいで褒められて」
「弟もいいな、ブロック積んだくらいで褒められるし。」
どうしてそう感じたのかと長女に聞くと、2年生になり1年生のときのように先生方が褒めてくれなくなったからだと説明してくれました。
「1年生のときは挨拶しただけで、すごいねって褒めてくれた。でも2年生になったら挨拶しても褒めてくれなくなった。」
「大きくなったら、もっと褒めてもらえなくなるの?」
小学校に入り始めの一年は、生活の些細なことでも先生や周りの大人・上級生が褒めてくれていた。でも、学年が上がって下の子が入ってくると、同じことをしても誰も褒めてくれなくなったというのです。
要は長女は自分が何かをしたときに、もっと「褒めてもらいたい」のです。
そもそも「褒める」ってどういうこと?
私はアドラー心理学に興味があるのですが、「嫌われる勇気」の著者である岸見一郎さんは「褒める」についてこう話しています。
褒めると言う行為には、能力がある人が能力のない人にすると言う側面がある。
その背景には他者を操作したいという目的がある
例えば子どもがスーパーでの買い物に静かについてきてくれたら、「静かにしていてくれてすごいね。えらい!」と褒めます
でも、それが自分の親やパートナーが相手だったら褒めますか?褒めませんよね。
少し極端な例ではありますが、このように自分より目下の人につかうのが、「褒める」なのです。
そして、「静かにしていてすごいね。えらいね。」ということばには【次の買い物のときも静かにしていてね】という目的が隠されている、というのです。
大人になると褒められなくなるのは、自分より目上の人が少なくなるから褒められる機会が減るからなんですね。
そのことを踏まえて長女が1年生のときに挨拶で褒められていたことを考えると、先生や周りの人達の「これからもちゃんと挨拶してよね」という目的のもとに発せられたことばだと考えられます。
「褒めてほしい」はダメ?
なぜ長女は褒めてほしいと思うのでしょうか。
褒めてほしいと感じるということは、褒められることが当たり前になっていて褒められないと不安を感じてしまっているということ。
「すごい」「さすが」「えらい」
このようなことばを私も日常的に使ってしまっています。
褒められるのが当たり前になると、「褒めてもらえない環境」に適応できず、「自分がどうしたいか」よりも「褒めてもらうためにどうしたらいいか」ということを基準に行動するようになっていくのです。
「褒めてほしい」と思い「褒められるように行動する」ことは、人から褒められることで自分の存在価値を見出す【承認欲求のかたまり】状態ということです。
じゃあどのような声掛けをしたらいいんだろう
アドラーは「褒める」のではなく「勇気づけ」をするようにと話しています。
「勇気」とは目の前にある解決すべき課題や困難を克服する力のこと。
目の前のことをありのままに受け入れて、子どもの存在価値をまるっと抱きしめるという行為になります。
例えば、子どもがテストで100点をとってきたとき
「100点!すごい!」と褒めると子どもは喜びます。
100点を取るとママが喜んでくれると理解すると嬉しくなって「テストでいい点数をとると良いことがある」と考えます。
そうなると何が起こるかというと…「100点未満の点数をとりたくない」と思うようになります。
そんな気持ちで受けたテストが100点じゃなかったら?
ママががっかりするかもしれない
怒られるかもしれない
テストを隠したらばれないかも
100点を取れない自分が恥ずかしい
などと思ってしまうかもしれません。
じゃあ100点をとったときにどう対応するのが勇気づけなの?
「すごい」「えらい」を使わない褒め方ってすごく難しい気がする私。
そこでたどり着いたのが視点を変えることでした。
結果ではなく過程をほめる
100点をとって「えらい」「すごい」をいわれると、褒められているのは「100点をとった自分」ということになります。
それだと「100点ではない自分はえらくもすごくもない」になりますね。
こういうときは「100点をとるまで努力をした子ども」「100点をとって喜んでいる子ども」という点に着眼することが必要です。
具体的には
「100点とったんだね。毎日勉強頑張ってたもんね。」
「100点をとって嬉しいんだね。ママもうれしいよ。」
とそこに至るまでの過程や子どのも感情に視線を向けることです。
なんだかこれなら私も挑戦できそうです。
でも、ついついでちゃう「すごい」「えらい」
「勇気づけ」を意識しても、ついつい褒めてしまうこともあります。
でも、それでも良い。
まずは親である私が「褒める」の裏に隠された「期待」に気がついたこと
「結果ではなく過程をみよう」と思えたこと
それは大きな変化です。
そして、「勇気づけ」は自分自身にもしてあげたいなと感じました。
勇気づけを「できなかったこと」ではなく、「今このことに気づけている過程」をみとめてあげるように意識していきたいです。
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